熊本ボランティア報告 from NKC 01

4月20日(水)から21日(木)にかけて、三木先生と2人で熊本県に災害ボランティアに行きました。
九州キリスト災害支援センターが熊本県熊本市の熊本ハーベストチャーチに立ち上げられ、 北九州チャペルを朝7時に出発し、熊本県北部の植木インターには10時近くに到着しましたが、高速から降りて、市内までが大渋滞でした。

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物資倉庫と化したハーベストチャーチ内の礼拝堂にて

お昼に、熊本ハーベストチャーチに到着しました。その教会も断水状態でトイレも水で流す状態でした。支援センターから宇城市松橋町にある、東洋ローア・キリスト伝道教会に行きました。聾唖(ろうあ)者の教会であるため、災害があってもスムーズには情報が取れないこともありました。また、高齢者が多いこともあり、教会堂の瓦が屋根から落下してしまい、周囲の壁が壊れていました。その教会からは屋根の瓦が剥げてしまい、雨漏りがするためにブルーシートを敷く作業をしました。また、落下した瓦の瓦礫を公民館の集積所に運ぶ作業をしました。公民館の窓も倒れ、ガラスも割れた状態でした。三木先生と、瓦の瓦礫を集積所に運び、作業をしている所に、近隣の高齢者も同じように作業を通じて、交わり、その方々のお手伝いもすることができ、とても喜んで下さいました。

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東洋ローア伝道教会のチャペル

教会堂の屋根にブルーシートも敷くことが出来、もう一つの高い屋根は大工でも大変な高さのために、断念することになりました。教会堂の2階も電球や屋根が剥げ落ち、被災の悲惨さを感じました。その場所にもブルーシートを敷きました。教会の方々とも手話で互いに気持ちを表現し合い、最後にお祈りをして1日目の奉仕を終えました。支援センターに報告をし、センターの奉仕の方針は伝道するためではなく、奉仕とお祈りを通して被災者に寄り添うことが決まりました。また、支援センターと名前が記してあるベストを着て、センターの連絡先が書いてある紙を持って行くことも決まりました。そして翌日の予定を決めて、車中で寝袋を敷いて泊まりました。その間も余震は続いていました。
2日目は、ボランティアメンバーで主にお祈りをして、それぞれ派遣されました。私と三木先生は上益城郡御船町のスポーツセンターに物資の配給をしました。そこに行く時に、ナビを使用して行きましたが、通行止めになっている所が多く、運搬することが困難でした。とても驚いたのは、橋のように道路があったところが地震で決壊していたのです。あのような光景も初めて見ました。御船町にパンとお茶を運び、益城町を通りながら、被災の状況を視察して、熊本市内の避難所に物資を配給しました。
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完全に崩落し、片付けられた陸橋跡

完全に崩落し、片付けられた陸橋跡

ニーズがまだ見いだせない中で、三木先生が熊本にボランティアに来ていた、友人に連絡した所、熊本市内の個人宅(Aさん)で奉仕をしていて、人手が足りないことも分かり、その個人宅に向かい、センターに連絡し、シンガポールの方と日本人の大工に来てもらうことになりました。Aさんの家は生け花教室でもあり、建物自体も大きく、被害の状況も深刻な状況でした。教室を再開するための部屋の壁の破損を処理し、掃除をしました。その方も表情が安心していました。その日来ていた方の話だと、その方は疲れ、落ち込んで、どうすることも出来ない状態だが、ボランティアの励ましで、希望がみえてきたとのことでした。私達の作業はその日だけでしたが、翌日もセンターを通じてボランティア派遣されることになりました。
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今後とも熊本の人々を愛し、祈り、仕えていくことの大切さを実感しました。
(文責 北九州チャペル 豊島集司)